○コーディネーター
永井 順國 (政策研究大学院大学客員教授)
○シンポジスト
山本 浩 (NHK解説主幹)
大竹 久江 (前東京都杉並区立三谷小学校長)
鈴木 万亀子 (小笠原流礼法総師範 NPO法人理事)
田中 日出男 (NPO法人マナーキッズプロジェクト理事長)
▼各シンポジウムの主な発言のご紹介
各シンポジストの主な発言内容の概略を、以下に紹介します(文責はコーディネーター・永井順國、敬称略)。
なお、詳細な記録は後日、冊子に編集した上で、当日の参加者ならびに正会員に配布、希望者には印刷実費300円(送料込み)にて提供します。
冊子をご希望の方は、Eメール(office365@mannerkids.or.jp)或いは、FAX(03-6426-1580)に、お名前、送付先住所をご記入の上、お申込下さい。
なお、300円は、郵便局備え付けの郵便振替払込請求書(青色)にて、
口座名義:特定非営利活動法人マナーキッズプロジェクト
口座番号:00170-6-594797
にお振込下さい。
▼残っている「礼儀ただしさのDNA」
田中 日出男:
(マナーキッズを始めたきっかけ)私は平成8年にはまだ会社勤めをしておりましたが、その頃、気づいたことは従業員同士が挨拶をしなくなったことでした。
会社の中で「明るく、いきいき、爽やかに常に挨拶しましょう」という看板を作成し、幼稚園でやるような、「挨拶運動」をしなければいけなくなりました。
どうしてそのようになったのかなと思っておりましたら、近くの小学校で先生が正門に立っているのですが、子供たちは挨拶もせず知らん振りなのです。
どうやらこの辺に問題があるのかなと思うようになりました。
そこで、平成8年に早稲田大学庭球部小学生テニス教室を、OBに働きかけ始めました。
そのプログラムは、このマナーキッズプロジェクトと殆ど同じです。
子供がこれによって劇的に変わるということを体験しました。
これがきっかけです。
そして、知人を介して、小笠原流礼法鈴木万亀子総師範に出会い、今のようなスタイルが確立できたのです。
このプログラムは単なる礼儀を教えるのではなく、スポーツを組み合わせて教えることで、楽しみながらマナーや礼儀を学びます。
日本人は、かつては礼儀正しい民族だと言われていたのですが、子供達の変わる様子を見ると、子供たちに礼儀正しさのDNAは残っていると思っています。
それが私の印象です。
(テニス界マナーについて)テニスのベテラン世界選手権は35歳から90歳まであります。
テニスの場合はほとんどがセルフジャッジです。
ラインぎりぎりのボールが入りますと、インかアウトかで選手同士がもめているケースがよくあります。
我々が現役の時は、疑わしきは相手に有利なようにジャッジすると教わりました。
ところが、今は、ボールが明らかにラインの中に入っていても、アウトとコールするように指導するコーチもいるようです。
テニスでフェアプレーを重視するのは、そういうことを通じて、人間を試す場だと思います。
しかし、テニスの世界も、かつては紳士のスポーツといわれていましたが、今では残念ながらそうではない時代になったようです。
そういう観点から、小さいときからフェアープレーはどういうことかを教える必要があると思います。
そのためにはわれわれ大人から変わらなければ、子供たちには教えられません。
▼堅苦しくない小笠原流礼法
鈴木 万亀子:
お引き受けした理由は、子供たちのマナーの悪さに心を痛めておりましたからでもあります。
今はほとんど毎日のように子供たちと接していますが、教えていると子供の顔が違ってくるのです。
礼儀とはどういうことかということは皆さんがご承知のことだと思います。
小笠原流礼法が少しでもお役に立てればというのが今の私の気持ちです。
マナーと比較して礼儀作法というと、どうしても古めかしく型があると考えられています。
江戸時代には武士よりも商人の方が力を持つようになりました。
そうしますと、家の子供もお城にあげさせてもらいたいと思い、それには、礼儀を知らなければということで、型苦しい形だけ教えるエセ礼法家が出回り、堅苦しい型だけが礼儀作法と思われるようになりました。
小笠原流礼法は決して堅苦しいものではなく、相手を思いやる気持ちの表現なのです。
(礼法は型から入ることについて)型を整えることにより、脳でさえ、例えば腰骨をたてる事で、前頭葉にある、自己抑制機能が弛緩しない、そうしておいてマナーを教えるとインプットしやすいのです。
マナーキッズプロジェクトは、小学校で広がってきましたが、まだまだ指導者が少ない。
指導者の養成が必要だと思います。
今は幼稚園や小学校だけに留まっているのですが、小学校で礼儀作法を教えても中学校に入ると全く変わります。
できれば中学生まで追跡してゆきたいという気持ちでおります。
▼学校だけで完結できない教育
大竹 久江:
今や子供たちの教育は学校だけでは完結できなくなっているという現実があります。
地域の参加、協力がなければなり立ちません。
学校の中だけではできないことにはどんなことがあるのでしょう。
私が、第一に挙げたいのは、マナーの問題です。
なぜ、マナー、挨拶を第一に挙げるのかをお話します。
私は、校長になり毎朝、校門に立ち子供たちを迎えました。
そこで気がついたことです。
私が「おはようございます」と呼びかけても子供たちはほとんど目を合わせません。
声が聞こえません。
笑顔で返してくれる子供はあまりいません。
赴任当初は、子供たちは私の顔を知らないのかしら、何処のおばさんかなということもあったかもしれません。
ところが1年経っても子供たちの態度があまり変わらないことに苛立ちを感じました。
その原因がつかめないままに1年経ち2年経ちしました。
月曜日の朝会でもあいさつ、心のこと、マナーのこと話をしました。
なかなか子供たちの心に響かないのです。
先生方や保護者の方々にも、大人も一緒に同じ姿勢でのぞみましょうとお話もしました。
何とかしたいと試みました。
私の小さな力ではなかなか拡がらないという苛立ちを感じていたときに、田中先生と出会いました。
いろいろ検討した結果、体育の授業にマナーキッズテニスを導入することに問題ないということになりました。
そして田中先生に全学年をやっていただきました。
鈴木先生にはマナーのご指導をいただきました。
田中先生はとても熱弁をふるわれますので、低学年にはすぐに身につきました。
7月ごろ、職員室であいさつのことが話題になりました。
あるとき3年生の子供たちが音楽の授業に行きました。
授業の始めのあいさつのことです。
「おはようございます」「これからよろしくお願いします」と子どもたちが言って一斉にお辞儀をします。
音楽の先生は驚いてしまいました。
先生が頭を上げても子供たちはまだ頭を下げていたのです。
職員室にその先生が戻った時にその驚きを話してくれました。
音楽の先生は、鈴木先生のマナーの授業を受けていませんでしたから。
子供たちに今までにない様子が見られたということでした。
ただ、マナーキッズテニスの精神を定着させるのは、大変難しい問題です。
挨拶をされて返すべき大人が、しっかりと挨拶を返すことをやっていかなければマナーキッズプログラムは広がっていかないのではないかと思います。
マナーキッズプログラムの素晴らしいところをつけ加えますと、保護者にも教室があることです。
これにより保護者のかたもずいぶん変わってきています。
成果が出てきたことをありがたく思っています。
私は現在教育委員会で嘱託として勤務しています。
4月からは指導教授として教員を支援することになります。
新しい教員を育てるにあたって、ここで学んだマナーキッズテニスの精神を一生懸命にお話します。
これは大人を育てることにもつながりますので、みなさまもご協力をお願いします。
▼挨拶は「スィッチ」
山本 浩:
昨年の9月から相撲協会の再発防止検討委員会に招聘されました。
相撲協会には53の相撲部屋があります。
相撲の社会は礼儀に大変厳しいところです。
通常、朝一番で最も若い力士が稽古をします。
土俵を清め、稽古を始めます。
次第に稽古が進み9時から10時ぐらいになると関取が姿を見せます。
稽古が終わった若い力士は周辺を掃除したり、兄弟子の相撲道具を片づけたりチャンコの準備をしたりします。
最後に一番格上の力士が稽古をします。
その間、若い力士は兄弟子の稽古を見て覚えます。
これは相撲界にとっては重要なことなのです。
当然のことながら格上の力士が起きてくると「おはようございます」と挨拶します。
親方が出てくるのは関取が稽古を始める8時から9時頃です。
親方が出てくると力士は稽古を中断し、必ず挨拶します。
相撲の世界でなぜ挨拶をするのでしょうか。
まるで、あいさつをしないと相撲の世界では生きて行けないかのようです。
実は、挨拶は稽古の中味同様に非常に重要な要素なのです。
日本泳法というのがあります。
昔ながらの伝統的な泳ぎ方を守り続けている人達ですが、国内に12の流派があります。
鎧兜を身にまとったまま泳ぐ、これはある時は音も立てずに城のお堀を泳ぎ渡るための泳法です。
いずれにしても静かに泳ぐ泳ぎ方ですが、いずれも礼儀を重んじます。
その他にも柔道、剣道、合気道など様々な伝統スポーツがありますが、いずれも戦の時代に身につけた生き残るための便法です。
他に、武士のたしなんだものに流鏑馬(やぶさめ)とか蹴鞠(けまり)という競技もあります。
いずれも礼儀が非常に重要な役割を担っています。
なぜこれほど礼、礼儀を大切にするのでしょうか。
礼にはいろんな意味があります。
礼というと挨拶が基本ですが、手合わせをしてくれる相手に対する感謝の気持ちもあります。
あるいは敗れた相手に対する思いやりの意味もあります。
しかし一番大きな意味は、「挨拶はスイッチだ」と思います。
柔道場に入る、挨拶をする、そこから柔道の戦闘体制に入ります。
そこからは別の自分でなければなりません。
試合が終わり挨拶をする、その後に勝ったものはガッツポーズをする。
挨拶が終わるまでは戦闘モードなのです。
挨拶はそのためのスイッチなのです。
家庭においても同じことが言えます。
朝起きて「お父さんおはようございます」と言うとします。
その意味は、パジャマを着ていた自分から普通の服に着替える、気持ちを切り替えるという意味があると思います。
挨拶をすることによってスイッチを切り替える。
これが大変重要なことなのです。
挨拶の中にスイッチの役割があるからこそ重要なのだということを、私たち大人が知っていないと子供たちに対しては何も言えません。
挨拶には感謝の気持ち、思いやりの気持ちも含まれます。
現代社会においてこのスイッチが非常に重要だと考えます。
とくに戦いの場においてはスイッチが入ったか入らないかは非常に重要なことです。
(国際的に見た、スポーツのマナーについて)スポーツの世界を牛耳るのは基本的には3つのことがあげられます。
一つはルールです。
もう一つはレギュレーション、大会によって決まっている規定です。
三つ目はフェアープレー精神です。
おそらくフェアープレー精神が私どもが言うマナーではないかと思います。
しかしフェアープレー精神の中には型というものはありません。
倒れている選手がいる場合、自分たちのボールなのだが一度外に出して1回休みをつくる、こういうことはレギュレーションになる。
そうするとフェアープレー精神を逆手にとって、痛くもないのに倒れるプレーがたくさん出てきます。
2006年のワールドカップにおいて、イタリアナショナルチームは痛くもないのに倒れるための練習をするのです。
相手からファールを受けて倒れたという練習をするのです。
足を蹴られてもいないのに蹴られたようなふりをして倒れて痛がる練習をする、このようなことを代表チームの中で練習するのです。
このような時代です。
フェアープレー精神を失った偽善フェアープレーがはびこっています。
コミュニケーションが不足との指摘がありましたが、日本独特の状況もあろうかと思います。
日本では極論すれば、隣の人は「意見が違わない」と考える人の方が、「意見が違う」と考える人の方よりも多いのではないでしょうか。
基本原則は、「うちは隣と同じだ」という考え方です。
最初から「相手は違った考えを持っている」と考える場合は必然的にコミュニケーションが活発になります。
「村」とか「地域」といった概念が強かった時代には、日本ではコミュニケーションは必然であると考えてこなかった歴史的な背景があったのだと思います。
しかし今はそんなことを言ってる場合ではないのです。
まさにコミュニケーション能力を育むときです。
教えるのにも大変時間がかかります。
われわれ自身が、マナーとコミュニケーションが同一線上にある、欠くべからざるものであるという認識をまず持つことだと思います。